『IOCファミリーによるオリンピック商標の違法ライセンス問題を考える』。著者の柴大介さんからご恵贈頂いた。帯にはこうある。
「オリンピックに対する思考停止が、スポンサーメディアの沈黙が、商標制度の破壊を招き、日本語文化の劣化を招く」
なんだかすごいことになっている。内容は、商標法の中でもかなりマニアックな論点を掘り下げている。
実は、柴さんは何度か私が登壇したセミナーなどに足をお運び下さったことがあり、2、3回お会いしたことがある。私が日本弁理士会という組織からの依頼で「オリンピックのアンブッシュマーケティング規制の法的ポジションと実務上の対応」という研修の講師をやった時の柴さんの感想がすごくて、「友利さんはいいが他の連中は何だ!」といった感じで盛大にキレておられた。あれには参った。研修は収録されていて、後にeラーニング教材にもなったそうだが、そのくだりはカットになったと聞いた。
それはさておき本書である。
《目次》
1.違法ライセンスとは何か?~怒りのフリージャズ~
本書は、IOC以下、JOCや組織委員会(IOCファミリー)の知財活動に対する批判本である。開催都市契約、ブランド保護基準、アンブッシュマーケティング規制の在り方、商標出願方針など、批判対象は多岐にわたり、果てはマスコミ批判、政府批判、特許庁批判、知財専門家批判と、批判の対象はどんどんスケールアウトしている。
あまりにも多岐にわたり過ぎている感はあるが、この怒りのフリージャズを奏でるかのような筆致が、著者の味であろう。
著者の批判の要部を捉えれば、それはタイトルにもなっている「違法ライセンス問題」である。知っての通り、IOCファミリーは、多くのスポンサーやライセンシーに、広告やグッズなどにおいて五輪マークやエンブレムなどを使わせており、その見返りとしてスポンサー料やライセンス料を徴収している。そのことが「違法」だというのである。
どういうことか。
五輪マークなどの商標は、特許庁による商標登録の審査の基準を示した「審査基準」において、「著名な非営利公益事業を表す標章」(4条1項6号)として例示されている。これに該当するとされた商標は、一定程度の特別な保護*1が与えられる。
その反面、こうした商標権については、権利者による譲渡やライセンスが禁止されているのだ(24条の2の2項・3項/30条・31条の但し書)。※もっとも、2019年施行の法改正によって、通常使用権の許諾(一般的なライセンス)は可能になった。
したがって、IOCファミリーが、オリンピック関連の商標を、スポンサーやライセンシーにライセンスしているのは、(少なくとも2019年以前のライセンスについては)この禁止条項に違反している。すなわち違法であり、ライセンス自体も無効であるという指摘である。
実は私は本書の指摘に全面賛成というわけではないのだが、この主要な指摘については、確かにその通りだと思う。IOCファミリーは4条1項6号の特別な保護による恩恵を受けておきながら、それと引き換えに課せられた法律上の禁止事項を無視して、大規模なライセンスビジネスを行っているのである。
もっとも、著者が嘆くように、この「違法状態」は、世間一般はもちろん、知財関係者の間でもさほどシリアスに受け止められなかった。本書でもレポートされているが、国会で追及する議員も出たが、ピンとこなかった人が多かったようである。それはやはり、確かに違法状態ではあるものの、被害者が存在しないからだろう。
著者は、ライセンスが無効である以上、スポンサーやライセンシーは商標権侵害を犯していることになると論じる。しかし権利者であるIOCファミリーに権利不行使の意思があることは明白だから、誰もその侵害の被害を受けてはいないのである。
それに、本来は、事業者の自由な意思に基づいて行われてよいはずのライセンスを、商標法が規制していること自体がヘンだ、という感想もあるだろう。
2.責めるべきは「違法ライセンス」か~菊花紋章と比較せよ~
ここで考えてみたい。そもそも、なぜ「著名な非営利公益事業についての標章」のライセンスが禁じられていたのだろうか。
それは、本当に公益性の高いマークに置き換えて考えてみると理解できる。例えば菊花紋章。仮に、これを宮内庁が商標登録して、民間業者にライセンスしてタオルやピンバッジにして売ったらどうだろうか。あるいは日本赤十字社が赤十字マークを商標登録して、おままごとの病院やナースのコスプレ服にライセンスしていたらどうだろうか。「ちょっとそれは」という話になるのではないか。
菊花紋章が安易に商業利用をされれば、国民感情を害するおそれがある。赤十字マークが安易に商業利用されれば、マーク本来の意図(戦時中でも赤十字マークをつけた施設や医療従事者は攻撃してはならない)が薄れ、騒乱時の秩序が守られなくなるおそれがある。
つまり、「公益」を害すのだ。
純粋に非営利公益事業を表す標章は、安易に商業利用されれば、そのこと自体が、公益を害すおそれがある。したがって、たとえ国や非営利公益団体が許可したとしても、商業利用そのものを制限すべきである——譲渡やライセンス禁止条項は、そのような公益保護の趣旨の規制だと理解すべきではないだろうか。
で、あれば。
逆にいえば、非営利公益団体自体が、その性格を変容させ、公益団体ではなく、実質的に営利事業団体に変化している場合は、その使用する標章が商業利用されたとしても、そのことで害される公益はもはや存在しないといえる。
翻ってオリンピックは、まさに明らかに商業主義に変質したイベントである。公益性など、お題目以外にはもはや存在しない。だからこそ、五輪マークやエンブレムが公然とライセンスされ、商業利用されたとしても、誰も違和感を覚えないのである。IOCファミリー自らが積極的に商業利用しているのだから当然である。
と、なると。
間違っているのは、4条1項6号の特別な保護を与えられているにも関わらず、それと引き換えに課せられたライセンス禁止条項を破っているIOCファミリーではない。IOCの「違法ライセンス」を責めることは、ある意味で不毛である。
問題なのは「前提」の方だ。確実に商業化していることが明らかであるにも関わらず、IOCファミリーに4条1項6号の特別な保護が与え続けられていることこそが間違いなのである。
本書も、その結論に帰結している。「IOCは4条1項6号非営利公益団体ではなく、オリンピック競技大会は4条1項6号非営利公益事業ではない」(p.134)として、商標審査基準を改訂すべきである、と訴えている。筆者もまったく同感だ。オリンピックは、もはや特別な保護に値するほどの公益性など持ち合わせていないのである。
3.審査基準を覆せ~梅五輪へのエール~
いや、そのうち審査基準が改訂されるのを、指をくわえて待つ必要はない。
今もなお、五輪マークなどのオリンピック関連商標にちょっとでも類似する商標を出願すると、4条1項6号に基づき、その商標出願は拒絶される(下図)。拒絶された出願人の主張はだいたいいつもこうだ。「私の商標は五輪の商標とは類似しないし、出所の混同を生じない」。みんなこれしか言っていないが、これでは拒絶を覆すことはできない。
類否を争うな。「そもそも論として、オリンピックは営利事業であり、五輪関係の商標は4条1項6号の標章に該当しない」と主張すべきだ。
特許庁が審査基準に矛盾する決定をすることは期待できない。しかし、行政訴訟まで持ち込めば勝てる、と思う。そして訴訟で結果が出れば、審査基準などコロリと変わるはずである。
6号で拒絶されたとき、類否を争ってもほとんどムダである。なぜならば、マニアックな話ですけどね、6号でいう「類似」の射程は、他の条文(10号、11号など)における「類似」の射程よりも広いからだ。
10号や11号は他人の業務との出所の混同を生じさせるおそれのある商標の重複登録を排除するための規定であり、したがって、出所の混同を生じさせるおそれのないレベルの類似度であれば「非類似」となる。
一方で6号は、非営利公益事業を表す標章の意義や権威を保護し、ひいては公益を保護するための規定である。出所の混同は関係ない。だから、たとえ出所の混同を生じさせるおそれがなくても、その標章を漠然と連想させたり、モチーフにしているだけでも「類似」と解釈することが可能なのだ。
だから、11号拒絶理由などへの反論と同じ考え方で「出所の混同を生じるおそれはなく、すなわち類似しない」などと主張を繰り返してもムダなのである。
そうではなく、繰り返すが、類否ではなく、「そもそもオリンピックは営利事業であり、五輪関係の商標はそのもの4条1項6号の標章に該当しない」と主張すべきなのである。
「ブログブログ by 友利昴」は、津田塾大学の商標出願「梅五輪」を応援しています(執筆時現在、拒絶査定不服審判請求中)。
柴大介『IOCファミリーによるオリンピック商標の違法ライセンス問題を考える』(イマジン出版)