ブログブログ by 友利昴

自分に関する記事を書いたものです。

「任天堂VSマリカー」東京地裁判決について(1)「マリカー」は誰の商品等表示?

任天堂が、スーパーマリオのキャラクター達を使ったレンタルカート業者その名も「マリカー」(現・MARIモビリティ開発)を、不正競争防止法違反ならびに著作権法違反で訴えていた裁判、通称マリカー事件」。その地裁判決が先日出まして、判決文(PDF)を読みました。その感想文です。

全体的には、任天堂側が丁寧に色んな証拠を収集し、それらを積み重ねて説得力のある主張をしていましたね。さすがだな、と思いました。京都の会社なのに何回も東京出張してマリカーを訪れてスパイしたりしたんだろうな。結果、日本(人向けの媒体)では「マリカー」の営業表示を禁止、マリオキャラクターを使った広告宣伝物(広告動画、従業員ユニフォーム等)も禁止、約1,000万円の損害賠償も認めています。ほぼ勝訴の形となったのは納得の結末です。

 

そのうえで、2点気になったこと。

 

(1)「マリカー」の表示を、割とさらっと「任天堂周知かつ著名な商品等表示」と認めている。

 

マリカー」というのは、「マリオカート」のユーザーが使用している「愛称」であって、任天堂自身が主体的に使用する商品等表示ではないですよね。こういう類の表示が「任天堂商品等表示」(条文でいうところの「他人の商品等表示」)という要件を満たすといえるのだろうか。ずいぶん、さらっと認めてるな!と思った次第です。ユーザーが勝手に言っている愛称を「自分の商品等表示です」と主張するのは、実は当事者としては割と慎重になるポイントだと思う。

まぁ「マリオカート」→「マリカー」は、略語の成り立ち方として一般的であるうえに、需要者において「マリオカート」=「マリカー」という認識が広くなされているのだから、「他人の商品等表示である『マリオカート』と類似の商品等表示である『マリカー』」という理論構成ならしっくりくるかもしれない。しかし、これが例えば、「マリオカート」が「赤ひげモーターズ」の愛称で親しまれていたとしたら、それを任天堂の周知な商品等表示と認めていいのだろうか?

 

ちなみに、ブランドオーナーの実務上、ユーザーが勝手に使い出した愛称というのは、得てして商標出願まで気が回らないか、少なくとも後手になりがちである。実際、任天堂が「マリカー」の商標登録をMARI社に先んじられてしまったこともその表れでしょう(余談だが、任天堂は「ファミリーコンピュータ」の愛称であるファミコン」の商標もシャープに先に登録されている――拙著『それどんな商品だよ!―本当にあったへんな商標』「ファミコンウォーズ勃発?」p.143より)

エンタメ業界の商品は、二次創作しかり、ユーザーがブランドを拡張させるという側面があるので、ユーザー発の愛称が市民権を得ることは少なくない。もっとも最近は、というかおそらく「ポケモン、ゲットだぜ!」以降は、ブランドオーナー側が主体的に「愛称」を考案し(もちろん商標出願もして)、広告等で使用するケースも多いですが(「パズドラ」、「モンスト」なんかはそうですね)

商標登録による権利化が抜けがちな「愛称」が、「様々なメディア〔…〕や多数のユーザーにおいて広く一般に使用されている」(判決文より)ことを理由に、「他人(自分)の商品等表示」として不競法による保護を受けられる余地があるのだとすれば、ブランドオーナーとしては朗報だといえよう。

 

長くなっちゃった。二つ目の感想は次回

それどんな商品だよ! 本当にあったへんな商標 (文庫ぎんが堂)
友利昴 和田ラヂヲ
4781670970

マリオカート8 デラックス - Nintendo Switch
任天堂
マリカー

『よくわかる音楽著作権ビジネス』安藤和宏教授インタビュー

ロングセラー『よくわかる音楽著作権ビジネス』などの著者がある、東洋大学法学部教授の安藤和宏さんのインタビューをしてきました。

実は安藤さんの『よくわかる音楽著作権ビジネス』は、私が知財の仕事に興味を持つきっかけになった本でした。一時期、私は音楽を使った事業を手掛けていたのですが、著作権のことや音楽業界の商慣習がほとんど分かっていなかったので、本屋で見かけて買ったこの本を片手に、音楽出版社と権利処理の交渉をしたり、(多くの方の印象通り)いちいち硬直的なJASRACとやり取りしたりしていたことを思い出します。

余談ですが、ある時JASRACから資料を郵送してもらう必要が生じ、電話口で自分の名前の漢字を説明するくだりで、友利昴の「昴」を説明するのに、音楽著作権管理事業者である同法人へのリップサービスのつもりで、JASRAC管理楽曲で言いますと、谷村新司の『昴』です!」と説明したところ、鼻で笑われたので顔が真っ赤になりました。一生忘れないからな!

 

それはさておき。

 

今自分が、法律そのものではなく、産業界の実務としての法律との付き合い方、距離の取り方を追及しているのは、現場にコミットし続けて、現場のアーティストのために不合理な慣習と戦い続けている安藤さんの姿勢に共感したからだと思いますね。

取材でも「現場のために戦う姿勢」を存分に感じることができました。戦い過ぎて編集でカットされた表現も多々ありましたが……非常に刺激&勉強になりました。『発明THE INVENTION』2018年9月号に収録です。


よくわかる音楽著作権ビジネス 基礎編 5th Edition
安藤 和宏
4845631415

よくわかる音楽著作権ビジネス 実践編 5th Edition
安藤 和宏
4845631423

昴-すばる-
谷村新司
B000666TH6

JUGEMブログからはてなブログへの移転

時の流れの速さに震えるより他ないのですが、10年間もJUGEMでブログ記事を書いていたんです。10年とは言っても、ほぼ月刊以下の投稿状況だったので達成感など微塵もありませんが。ただただ10年という時の流れに狂おしい気持ちになるだけです。

JUGEMでは記事をあまり書く気にならなくなったどころか、自分で読み返す気にすらならなかったのは理由があります。それもこれも広告が出過ぎだからなんですよ。僕も大人なのでね、無料ブログサービスが広告収入によって成立していることは分かるんですよ。「広告ウザ過ぎ~」とかね、子どもじゃないんだから言いませんよ! だけど、スマホで閲覧するときに出てくる「す~っ」という動きをする広告だけはダメだ。間違ってクリックして表示された広告なんて誰が見ますか? す~っじゃないんだよお前は。あと一定期間記事が更新されないことを理由に広告が増えるシステムも解せない。更新してなくて誰も訪れないブログになぜ広告を増やす? ゴーストタウンにチラシを貼って回るようなものではないか? 意味がない。ポストにチラシだけが大量に押し込まれた空き家かこのブログは! といった感情に支配された結果、いつしか家主の足すら遠のいてしまったのだ。

それでもうどこか別のブログに移転しようと思ったのである。だからといって広告なしの有料ブログを契約するほどのやる気も、色んなブログを比較して吟味するほどの暇もないので、なんとなくはてなブログにしたのである。す~っとなる広告があるのかどうかすら確認してない。ないことを祈る。

そういった次第なので、特に心機一転ということでもなく、ほぼ宣伝と備忘録に費やします。なお、昔の記事を自分で読み返したら、「何言ってるんだコイツは」としか言いようのない記事が過半数を占めたため、記事を間引いて整理しました。自分で何を書いたかなんて忘れているので、改めて読み返すとその内容に愕然とすることが多い。しかし、そう思うのは自分が成長したことの証であると、めちゃめちゃポジティブに解釈しようと思います。

ペパボの教科書 インターネットサービスではじめる、あたらしい自分
paperboy&co.
4834251942

「みんなのもの」を商標登録してしまう人々

『へんな商標』の本とか書いておいて言うのもなんですがー、商標出願情報へのアクセスが容易になる中、定期的に他人の商標出願が話題になりますね。「なんでこんな商標を…?」という程度の興味本位の話題、報道でしかないんですが、商標出願は、通常商品の発表前、企画段階で仕込むことが多いので、「なんで?」と問い合わせられても軽々しく答えたくないし、発表前から憶測によって色眼鏡で見られて勝手なイメージがつくのは迷惑だろう。だから僕は人の未使用で新しい商標はあまりいじらないんです。

話題になることが多いのは、新語・流行語にかこつけた商標出願ですね。ざわつく理由は分かるんだけど、ざわついたからといって、審査がそれに影響を受けないでくれよ、世間口に流されないでおくれよ、というアテンションの気持ちもあって、先月、特許庁の審査官向けの機関誌『商標懇』に「『悪意の商標出願』は本当に『悪意』で出願されているのか」という原稿を寄せたんですね。今日は、流行語等に関する商標出願の評価について論じた、その原稿の一部分を抜粋転載しようと思います。


  題して「『みんなのもの』を商標登録してしまう人々」

 

■「みんなのもの」を商標登録してしまう人々

(1)共有財産的標章

  これも広い意味でフリーライドの一種と捉えられる場合があるが、特定の他人に帰属する商標への便乗ではなく、国民や地域住民に馴染まれ共有財産のように認識されている標章(以下、「共有財産的標章」)を商標登録しようとする行為もまた、昨今、「悪意の商標出願」の文脈で眉をひそめられがちである。例えば歴史上の人物名や流行語、社会現象などに関する商標出願がこれに該当する。特定人に帰属する成果へのフリーライドであれば、怒るのは基本的にはフリーライドされた当人だけであるが、多くの人が使用を欲する共有財産的標章が何人かによって商標出願もしくは登録された場合は、幅広く戸惑いや反感を買うことにもなりがちだ。

戸惑いや反感の背景には、「本来は誰もが使えるべき語にもかかわらず、特定人に商標登録されてしまったら、使用が制限されてしまうのでは」という不安や不公平感がある。実際には商標権の効力は限られた範囲にしか及ばないので、杞憂である場合も多いが、権利範囲(類似範囲や商標的使用の範囲など)がしばしば明確でないこともあり、一定の混乱や萎縮を招くことは確かであろう。

例えば、地質時代期の名称として国際学会で審査中の「チバニアン」の名称が「印刷物」等の指定商品について商標登録を受けた事案を受け、チバニアンの研究チームは「『チバニアン』に係る論文誌・学術誌等を出版する者は,商標的使用か否か,ひいては本件商標権の侵害に当たるかをおそれながらの出版を余儀なくされることとなる」[1]との懸念を吐露している。

 

(2)商標登録するけど独占はしません?

一方で、こうした出願の背景には、必ずしもその語の使用を独占し、他人の使用を制限しようとする「悪意」があるとも限らない。例えば、高知県が「坂本龍馬」の語を含む図形商標の登録を求めて行った査定不服審判において、同県は「本願は出願人が経済的利益の独占を図る意図をもってなしたものではなく、そのような権利行使をすることがあり得ないことも強く主張する」[2]と強調しているし、かつてテレビドラマの決めゼリフとして流行した「じぇじぇじぇ」の語を商標登録した沢菊社は、「独占するつもりはなく、相談があれば使えるようにする」[3]と取材に応じている。

しかし、独占するつもりがないならば、なぜ商標出願をするのだろうか? その背景には、「誰かに商標登録されると自分が使用できなくなってしまう」という出願人としての不安がある。何人も使用を欲する共有財産的標章は、当然商標としての使用が欲せられるケースもあるわけだが、その際、自身の適法な使用を将来にわたって担保するために、独占する気はなくとも敢えて商標登録をすることによって、他人に商標登録される余地を排除しようというわけだ。

こうした不安は、商品・役務の普通名称や品質等表示等と目される標章(これらもある意味「共有財産」的性質を持つ)を敢えて出願する動機となることも多い。独占が目的ではないため、自身が拒絶査定を受けて「誰かに商標登録される」可能性が低いことが確認できれば満足されることもしばしばである。いわば「安全確認出願」といえる。

以前大分県が「おんせん県」を商標出願したところ、同じく温泉を観光資源とする群馬県から非難[4]を受けたことがあった。このとき大分県は、「営利目的の第三者…(中略)…が登録した場合などに、『おんせん県』の使用ができなくなったり、使用料が発生したりすることも考えられることから、大分県として保護的な意味合いで商標登録をしておいた方がよい」と考え、「念のために」出願したものであると説明し、そのうえで「各県の使用を妨げる意図は一切ありません」としている[5]

こうした出願意図を「悪意」とまで断ずることはふさわしくないだろう。出願人の心情としては理解できるところではある。だが、共有財産的標章について、「誰かに商標登録されると自分が使用できなくなってしまう」という不安を解消するために、他の大勢をまさに「商標登録されてしまったら使用ができなくなってしまうのでは」という不安に陥れる行為は、いささか身勝手ではないか。「誰かに公園を占拠されると遊べなくなってしまうかもしれない」などと言いながら、自分が公園にバリケードを張ってしまうようなものだ。商標法の予定する趣旨からも外れているとも思われ、悪意ではなくともBad faithな商標出願と位置付けることはできそうだ。いくら「独占(権利行使)するつもりはない」と言ったって、そうした意思が当然に他人に伝わるものでもなく、公益や商業秩序を乱す場合は少なくないと考えられる。

 

(3)様々な出願意図の狭間で

  とはいえ、共有財産的標章の出願意図が、(1)積極的に他人の使用を制限したいがための「悪意」の出願か(2)自己使用を前提とするが権利行使は想定しない「安全確認出願」か、はたまた、(3)自己の商品等の出所を表す商標として育成し、その独占を図るという商標法の趣旨に則った「正当」な意図の出願であるかを判別するのは容易ではなく、もし審査等において判別の必要が生じた場合は、やはり当事者らによる主張立証に頼るところが大きいだろう。

ちなみに(3)のパターンもちゃんと存在する。例えば冒頭[6]で触れた「オリンピック」は、そもそもはIOCが近代オリンピックを創設する遥か以前から古代ギリシャのスポーツの祭典(現在では近代オリンピックと区別して「古代オリンピック」と呼ばれるもの)の名称として親しまれてきた経緯がある。また、ギリシャオリンピアにある、古代オリンピックが行われた競技場などの遺跡は世界遺産にも登録されており、ギリシャの観光地、文化資産としての存在感を放ち続けている。つまり「オリンピック」の語は、まさに「共有財産的標章」としてのオリジンを持つものなのである。こうした事情から、ギリシャでは現在もなお、IOCが「オリンピック」の語を自身の資産と見なす姿勢に対して疑問を呈するむきがあるという。

この状況が象徴するように、もともと共有財産的性質を持った標章を、特定の出所を表す商標として育成することには、不可能なことではないだろうが、一般的には長い時間と困難を伴うものである。だが、そこまでの覚悟を持ったうえでの商標出願であれば、少なくとも主観的な出願意図としては、商標法の趣旨に則った正当な意図と評価すべきと考える。登録を認めるべきかどうかは別問題として。

(初出:特許庁商標懇談会『商標懇』[2018]「『悪意の商標出願』は本当に『悪意』で出願されているのか」より)

 

それどんな商品だよ! 本当にあったへんな商標 (文庫ぎんが堂)
友利昴 和田ラヂヲ
4781670970


へんな商標?2
友利 昴 和田ラヂヲ
482711174X


[1]異議2017-900179「チバニアン」事件

[2] 不服2011-000928「坂本龍馬」事件

[3]朝日新聞」2013年11月29日付夕刊「流行語 次々と商標出願」(朝日新聞社

[4] このとき群馬県は「『他県を敵に回しても』ということなのだろうか」、「手法は日本の地名を勝手に商標登録した中国のケースを想起させる」(同県観光物産課)と強い表現で非難したが、殊、この標章に関して言えば、それほど広く一般的に使用されている表現とは思えず(すなわち「共有財産的標章」とは思えず)、温泉資源をPRする語は他にいくらでも選択肢があると思われるため、「そんなに怒るか?」というのが筆者の意見である。発言は〔毎日新聞社「毎日.jp」2012年11月10日付「おんせん県:大分商標登録に 群馬知事困惑」より。

[5]大分県ホームページ「大分県による『おんせん県』商標登録申請について」2012年11月15日付 

[6]本ブログ記事では割愛。