ブログブログ by 友利昴

自分に関する記事を書いたものです。

言われる側が、弱過ぎないかな。最近。

天気の良い三連休だったんですが、連休明けからのセミナーの準備のため、概ね家にこもっています。それにしても、セミナー当日が台風っぽいのが気になります。実は今、家に傘がなくて…。この間、世話になっている弁理士さんに、ロシア人パブに連れて行かれ…連れて行って頂きまして。

そこでなぜか、ロシア人のホステスに「ニッポン人ノ、コウイウトコロガダメナノヨ!」と若干怒られた上に傘を忘れて来たのです。このまま当日を迎えるとヤバいのではと、先を見据えて晴れている今日の内に傘を買いに行きましたよ。

あと、先週は、編集者のハマザキカクさんにお会いしました。ハマザキさんの作られる本、けっこうパロディやシャレをモチーフにしたのが多いのです。僕もそういうカルチャーが好きなので、お話していて楽しかったです。僕はパロディをめぐるトラブルや法的な立ち位置にも興味があって、それについてのお考えにも共感するところが多かったです。

僕は企業の知的財産部門にいて、物書きの仕事もしているという立場、ハマザキさんは出版社の編集者なんですが、最近クリエイティブの現場で、「権利侵害」や「パクリ」と指摘を受ける事に対して、過度に萎縮してしまっているのではないか、という問題意識が共有できました。

知財部門で働いていると、盗用や権利侵害を主張する警告やクレームは日常茶飯事ですが、根拠がない言いがかりレベルのものも少なくありません。そういうトラブルをいかにきれいに収めるかは我々の腕の見せ所なので、事業部門や創作者には、後ろめたい事がないなら気にしないで欲しいと思っています。

しかし、中には頭に血がのぼったクレームや、「パクられた」等と喧伝するケースもあり、そういうのを嫌気して、すぐにクレームに屈したり、気にし過ぎて業務に差し障りが生じたりという事態も見受けられます。

さらに憂慮すべきは、報道や司法がそうした風潮に影響を受けつつあるのではないかという点です。昨今、権利侵害事件を報じる報道には、あたかも「権利侵害」「パクリ」と言われた方にまず非があるというような論調のものもあるし、裁判等でも、下級審レベルだと、そうした論調に流されてるんじゃないかと思わざるを得ない判断をしているものもあります(グリー VS DeNAの釣りゲーム訴訟の地裁判決や、パクリ問題とは少し違うけど、大分県の商標「おんせん県」の審判なんて、本当に真面目に検討したの!?と思う)。

自分の生み出したものにプライドを持っている作り手なら、後発類似品を気にするのは当たり前です。それで気分を害したり、権利侵害だと信じるならそう主張するのも当然の権利です。そして権利侵害は確かに断罪されて然るべきです。

しかし、知的財産の問題は、白黒つけられるケースの方が圧倒的に少ないのです。にも関わらず、最近は、言われる側がちょっと弱すぎないか。言われる側に対する視線が厳しすぎないか。そう思うのです。このバランスを正常に戻すには、まず、言われた側が、後ろめたい事がないなら、きちんと毅然とした態度を示すしかない。そろそろ、そういう時期に来ているのではと、考えています。

表現の自由vs知的財産権―著作権が自由を殺す?
ケンブリュー マクロード Kembrew Mcleod
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