数少ない『オリンピックVS便乗商法』の類書をご紹介する第二弾。加島卓・著『オリンピック・デザイン・マーケティング―エンブレム問題からオープンデザインへ』です。
本書の主題は、サブタイトルから伺えるように、佐野研二郎さんデザインの、取り下げになった旧大会エンブレムにまつわる騒動です。
エンブレム騒動。当時知的財産業界からも声はあがりましたが、デザイン業界からの声は良くも悪くも拾われたのに対して、知財業界の声ってあまり響かなかったんですよね。僕はこの業界の末席に身を置く人間として「なんという存在感の低い業界だ」とガッカリした覚えがあります。知財業界の知見と常識からすれば、エンブレムに関しては潔白だろうと言えるわけですが、騒動における「潔白なはずなのに周囲をなかなか説得できない」という事態の顕在化は、知財業界にも課題を与えたものです。
それはさておき、本書は知的財産の観点ではなく、過去のオリンピックの大会エンブレムに目を向け、その社会的な位置づけの変遷を踏まえることで、この問題を捉え直そうという取り組みがなされています。まずこの視点が面白い。煽情的な炎上事件となった側面もあり、非常に現代的な出来事のように見えたこの騒動を、半世紀以上の歴史の流れの中で説明しようという発想が新鮮です。
その結論の要点を、僕なりにかいつまんで言うとこうです。
かつて「アート」のように捉えられ、作り手サイドも「作り方」を意識していた大会エンブレムが、80年代以降のオリンピックの商業化と前後して、広告や商品化などの横展開を前提とした「デザイン」(商業デザイン)としての完成度が求められるようになり、作り手も、エンブレムの「使い方」(使い勝手)を重視する方向に位置づけが変化していったという流れがあった。
その流れの中にあって、2020年東京大会エンブレムの作り手は、おそらく1964年大会への郷愁も手伝い、あの頃のようにエンブレムを「アート」として捉え、「作り方」を重視する雰囲気があった。つまり、ある意味、時代の流れに逆行したコンセプトでのプロジェクトだったということです。
こうした制作コンセプトだったがゆえに、「パクリ疑惑」が発生しても、作り手サイドは「あのエンブレムをどうやって作ったか」の説明に終始し、その結果「どう作ろうが結果として似ていた」事実の反証としては説得力を持たせることができずに疑惑を収束させられなかったし、選考過程においてはアート志向のデザイン関係者の意向が過度に尊重されたことで「出来レース疑惑」も生んでしまった……と考察されています。
うん、この考察は、エンブレム騒動を知財問題や炎上問題として捉えていては多分一生できないものです。これは興味深いパズルの解き方をしているな~という感想を抱きました。
拙著のテーマになっているオリンピック・シンボルの無断使用規制やアンブッシュ・マーケティング規制については、オリンピックの商業化の歴史を追う中で、その時代時代の新聞記事等を参照しつつ触れることで、規制の変遷について臨場感をもって言及されています。
唸ったのは、野老朝雄の手による新エンブレムとアンブッシュ・マーケティングの関係性についての観察ですね。ご存じの通り、新エンブレムは市松模様をモチーフとしています。これが何を意味しているかというと、明らかに誰の権利でも所有物でもない公有財産(パブリックドメイン)である市松模様を上手に活用すれば、合法的に、かつかなり直接的に、新エンブレムに便乗(アンブッシュ・マーケティング)することができるということです。本書の記述を借りれば「新エンブレムがあって市松模様があるのではなく、市松模様があって新エンブレムがある。したがって、その気になれば誰でも新エンブレムっぽい表現をすることが可能」という状態なのです。
「元ネタがあるのではないか?」という疑惑が端緒となって取下げになった旧エンブレムに対して、新エンブレムは、元ネタが誰の目にも明らかな公有財産だったがゆえに、パクリ疑惑は起きにくくなったものの、逆に誰でも合法的に「パクりやすい」デザインになってしまった……。この皮肉めいた事象の指摘に、僕は震えましたね。
なお、新エンブレムは、組織委員会による審査を経て、最終4案については国民投票で選考されました。僕は、おそらく組織委の審査員も、投票した国民も、旧エンブレムの騒動にうんざりして、無意識的にそもそもパクリ疑惑の起きにくい案に目が行ったのではないかとにらんでいます。
なお、『オリンピックVS便乗商法』のカバーデザインが、僕のリクエストで「伝統的な藍染の市松模様のモチーフ」を全面的に打ち出したのは、本書のこのくだりに強くインスパイアされたからであります。
ちなみに、ちょうど本書を読んでいた今年の2~3月頃に加島さんのトークイベントが開催されるというので、お邪魔したことがあります。加島さんは結構終始淡々と話す感じだったんですが、この市松模様のくだりは妙にテンションが上がってて、自分で話しておいて自分で笑っていたのがかなり印象的……というか共感しました。まぁアガりますよねこの状況には。
その割に、『オリンピック・デザイン・マーケティング』のカバーは別に市松模様じゃないのが謎です!(少しだけ使われていますが)
と、いうことで、「オリンピックの知的財産らしきもの」の正体について理解を深めるにあたっては、拙著『オリンピックVS便乗商法』、前回の『アンブッシュ・マーケティング規制法』、『オリンピック・デザイン・マーケティング』。この3冊を読んでおけば完璧だと思います。それぞれ、この問題を異なる視座から論じているので、テーマに共通項があっても、内容や読後感はまったくカブらない!おすすめです。
友利昴「オリンピックVS便乗商法―まやかしの知的財産に忖度する社会への警鐘」
加島卓「オリンピック・デザイン・マーケティング―エンブレム問題からオープンデザインへ」