ブログブログ by 友利昴

自分に関する記事を書いたものです。

【書評】『オランウータン奮戦記・オレ、ひとし―人間として育てられた16年間の愛の記録』

少し前に『オランウータンのこと全部話します!』という講演ボルネオ保全トラスト・ジャパン主催)が渋谷で開催されるというので、聞きに行ったのである。スピーカーは多摩動物公園などでオランウータンの世話をし、現在は保護・保全活動を行う黒鳥英俊さん。『オランウータンのジプシー』などの著書がある(うちにもある!)

タイトルに偽りなく、オランウータンに関する様々なトピックが盛りだくさんで面白かったし勉強になった。その講演の一部で黒鳥さんが紹介していたのが、今回書評する山川修・著『オランウータン奮戦記・オレ、ひとし―人間として育てられた16年間の愛の記録』(サンケイ出版)という本である。

1969年(昭和44年)から80年代の長期間にわたり、「ひとし」と名付けたオランウータンを息子代わりに育て続けた夫婦の話で、著者はお父さん本人。1985年(昭和60年)発行。当然絶版で、中古本はなんと27,000円もの値で売られていた。そこで図書館で借りて読んだのだが、これが、非常に面白かった。

今日では、オランウータンを個人が飼育することは、法律上(*1)も、社会通念上も不可能と言ってよい。ちなみに主な生息地であるインドネシアでも無許可の飼育は違法である。だから今後の復刊はもちろん、類書の出版の機会もないだろう。その点でまず貴重な記録である。

今日の社会通念の下でこの本を読むと、動物愛護精神に反した印象を受ける人も少なくないかもしれない。確かにそうした側面がある。オランウータンを人間の食べ物や通常の日本の気候下で飼えば、すぐに病気になる。また、小さい頃の見た目は人間の子どもと変わらなくとも、16年経てば推定200kgの巨体になって持て余す。ヒトに近い生き物なので、その悩みや苦しみもヒトに近い。発情期が来ても相手がいない。本書後半で述べられているが、当時においても、マスコミや動物園などから批判を受けたようである。

それでも、ひとしが深い愛情をもって育てられたこともまた事実であり、それは本書の屈託のない生き生きした筆致からよく読み取れる。

「わが家はすべて彼を中心にし、起床から就寝まで、向こう様の生活に合わせる。夫婦の仕事以外は、彼のために全力を注いでいた。それでも愛することができ、発育ぶりを目にすることで、苦労を忘れることが出来た。飼育に要する費用、家具の破損などを不満に思うはずもない。それほど、実子のように育てた」(p.126)

この文章は端的にそれを表しているし、細部にわたる具体的な描写はそれを裏付ける。川の字で寝て、家を改造し、自慰を手伝い、大きくなってからは庭に特注で、プールと暖房完備の檻を建てた。オイルショックの時期には、自分たちは倹約して灯油を檻の暖房に使ったという。ある意味、人間の子ども以上に手塩にかけて育てている。

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ひとしの写真も豊富。文章は生き生きと読みやすく、編集も見事で飽きさせない構成。

この本は、オランウータンへの深い愛情の記録を伝えながら、同時に、ヒトに近い生き物を飼うことの残酷さも教えてくれる。読んでいて感情を両極端に揺さぶられるのだ。

中盤の山場。まだ2~3歳の子どもの段階で、将来は飼うのが困難になるであろうこと、つがいの相手もあてがう必要があることを認識した夫婦は、ひとしを動物園に寄贈することを決心する。ひとしを檻に残して夫婦が去る、この別れのシーンが泣けるのである。

「背後に私たちがいないのに気付いた彼は、身をひるがえして入口の扉に駆け戻った。そして格子にかき付き、顔を左右に振る。狂気じみた仕草で私たちを探しているのである。だがどこにもいないと分かると、激しい声をあげた。怒りと悲しみを交えた、すさまじい叫びであった。〔…〕初めて見せた、彼の悲愴な行動であった。私たちは身を固くして耐えた。とんで行って声をかけ、抱きかかえてやりたかったがその気持ちを無理に押さえた。別れるためには、一度は経験しなければならぬ苦しさと我慢であった。『ひとしよ、許しておくれ』心を鬼にして踵を返した」(p.130-131)

結局、この後しばらくは動物園に預けたものの、夫婦はひとしのいない生活に耐えられなかった。ほどなく、動物園に頭を下げてひとしを連れ戻し、どんな苦労をしても一生飼い続ける決心を固めるのである。しかし最後まで読むと、やはりこの時、動物園に寄贈したままの方がよかったのではないかと思う。

最終章は、夫婦の不安の吐露で締められている。自分たちも老年になり、ひとしも人間でいえば老人の年齢。晩年を迎え、「ひとしが死ぬのが先か、自分たちが死ぬのが先か。どちらにせよ、ひとしはどうなるのだろうか」という問題に直面したのである。

病気で苦しんでも、専門の治療は受けられず、馴染みの獣医の往診くらいしか受けさせられない。葬儀や棺、葬送はどうすればいいのだろうか。跡継ぎのいない自分たちが先に死ねば、ひとしの世話はどうなるのだろうか。切実な悩みが記されている。

あとがきは奥さんの手によるものだが、ひとしと暮らした日々に対する喜びと感謝を綴るとともに、ひとしは本当に幸せだったのだろうかと自責自問する言葉で締められている。

ひとし晩年の時期に書かれた本書の記述は、ここまでで終わっている。夫婦やひとしがその後どのような顛末を迎えたのかは明らかではない。おそらく、それは調べれば分かることなのだろうが、あまり知りたいという気持ちにはなれないのである。

山川修『オランウータン奮戦記 オレ、ひとし 人間として育てられた16年間の愛の記録』(サンケイ出版)※中古

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(*1)この分野の法律には明るくないので、もしこの脚注間違っていたらごめん。現在は「動物の愛護及び管理に関する法律」(動物愛護法)により、オランウータンを含む「特定動物」は、飼育には都道府県知事の許可が必要である(26条)。さらに、2019年の法改正により、特定動物は飼育が原則禁止(新25条の2)になることが決まった(施行は2020年6月1日の予定)。また、オランウータンは「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」(種の保存法)で規定する国際希少野生動植物種に含まれているため、譲渡や引き取りが禁止されている(12条)。引き取りを受けた者は、環境大臣に個体を引き渡さなければならない(14条)。なおオランウータンは日本には生息していないので、入手は輸入に頼ることになるが、ワシントン条約規制対象種であるため、無許可の輸入は外国為替及び外国貿易法関税法違反にもなる。密輸になるのである。ひとしが飼われていた1970~80年代初頭には、動物愛護法では特定動物の飼育を規制しておらず、種の保存法はなかった(と思う)。日本におけるワシントン条約の発効すら1980年である。ただ、本書では、昭和49年の少し後(1973~4年頃?)に、税関職員の訪問を受け「オランウータンは国際保護獣で、個人での飼育が違法」との指摘を受けたことが記されている。その時点で既に飼い始めて3年が経過していたので時効であることが示唆され、最終的に飼育に差し支えないとのお墨付きを得たという。税関が動いたということはやはり関税法上の規制があったのだろうか。ただ、ひとしは別に夫婦が輸入したわけではなくて、又譲りの形で馴染みの獣医さんから譲り受けた個体なのである。関税法で飼育を規制できる話ではないと思われる。